親心、子心

サンタクロースを、小学二年生までは信じていた。
ただ無心に信じていたのはたぶん幼稚園までで、小学生になると、三つ上の兄の影響もあって、100%信じていたというわけではなかった。
 
当時住んでいたのは古いアパートで、ストーブはあっても、いわゆる「煙突」はなかった。12月の北海道で、夜に窓を開け放すことはない。(防犯以前に凍える)
トナカイを引き連れたサンタさんはどこにソリを留め、どうやって室内に入ってくるんだろう?
集合住宅住みの子どもたちにとって、この「煙突がない」はけっこう大きな問題だった。
 
もちろん「サンタさんが来るまで起きてる!」は何度も試みた。
でもしょせんは子ども。日付が変わる頃まで目を開けているのが精一杯で、翌朝はどんなに早起きしても、枕元にはすでにプレゼントが置かれている。
 
当日に起きていられない私と兄は、クリスマス前、数日に渡って家捜しをすることにした。もしもサンタが親ならば、前日までにはプレゼントを用意して、どこかに隠しているに違いない。
24日まで、タンスから押し入れから開けられるところはすべて開けて探し回ったけれど、不審なものは何も見つからなかった。
その年のプレゼントは、リクエスト通りのリカちゃんのお店屋さんセット。枕元にはラッピングされた一辺約30cmの立方体。どう頑張っても、家捜しでうっかり見過ごせるような大きさじゃなかった。
やっぱりサンタさんが来たんだ!──うれしかった。
 
そして小学三年のクリスマス。
私はネコのぬいぐるみをリクエストした。
当時好きだったマンガに出てきた、トラ柄でちょこんと座った姿が可愛いぬいぐるみ。商品化されていたものではなかったので、「こんな形のネコが欲しい」とお願いしていた。
 
そして待ちに待ったクリスマスの朝。
綺麗なラッピングから出てきたのは、真っ白でリアルなネコのぬいぐるみだった。
大きさもリアルでふわふわで可愛かったけれど、思い描いていた「ちょこんと座るネコ」とは似ても似つかなかった。「ネコ」しか合ってなかった。
明らかにがっかりしている私を見る母が、なんだか申し訳なさそうな顔をしていて、やっぱりサンタさんは両親なんだと、確信した。
 
後に当時のことを母に訊ねてみると、両親も疑われていることは知りつつ、決定的に信じなくなるまでは続けようと考えていたそうだ。
「天袋の奥までもぐり込むんだもの。当日まで車のトランクに隠したりお父さんの同僚の方に預かってもらったり……たいへんだったのよ」
「あのネコは……」
「話してたようなぬいぐるみがどうしてもなくてね、白くて可愛いかと思ったんだけどね……」
可愛かったんだけどね……サンタさんは間違えるわけないと思ってたから、がっかりしちゃったんだ。
 
ちなみに小学四年のクリスマスプレゼントは、リクエストに関係なく児童用の文学全集。
サンタさんじゃなくなったら途端に実用的だな、と変に感心した思い出。

川尻の合流する町

20年程前。
北海道支社の事務員だった頃、東京本社が道内各市町村とある契約を交わすことになり、現地での事務窓口を担当した。
必要書類を揃えて本社へ送ると、担当課長が確認の電話をくださる。
「書類いただきましたー。札幌市、旭川市釧路市とー……」
大きな市はやはりよく知られているようで、特に問題なかった。
稚内って、こんな字書くんですねー(笑)」
読めなくても聞いたことがあれば、むしろ和やかムードだった。
 
当時、北海道の市町村は全部で212。
小さな町や村になると、道民でもなかなか全ては把握していない。そして本社の課長は、北海道には来たこともなかった。
 
「えー……オスタケ町、ですかね」
「オスタケ?」
「男の雄に、武士の武で……」
「あ、オウム町です」
 
「クンシフ?」
「(訓子府か…)クンネップですね……」
 
「オキト町」
「…はい」(オケト(置戸)だけどまあいいや)
 
今ならネットですぐ調べられることだけれど、当時はまだ社内の個人PCはネット接続されておらず、Google Map なんて存在もしていなかった。
 
「ウラ……えー……占うに、冠」
「シムカップ、です……」
 
「キョウブ町」
「キョウワ(共和)町ですか?」
「興味の興に……」
「ああ! オコッペ(興部)です」
「────はあ!?」
「すみません……」
 
アイヌ語由来が多い北海道の地名は、意味を調べたりするとすごく面白いんだけどね……。
 
「当て字が多いので、ちょっと読みにくいですよね……」
「読みにくいっていうか──読めませんよねえ!?」
「……すみません」
 
文句は松浦武四郎さんに言ってください、とは言えなかった20代の思い出。
 

あとひとり

大学生の頃。
市内の別大学に、同姓同名の子がいることを知った。
所属サークルが同じだったので、大学間の交流会で本人不在で噂が回っていた。交流用の掲示板に「一度お会いしてみたいです」「こちらこそ」とお互い書き込んだりしたけれど、スポーツ系のように試合があるわけではなく、お互い存在を知ってから一年程は遭遇する機会もなかった。
 
ようやく会えたのは翌年の、市内サークルの合同ジンパ。
(ジンパ=ジンギスカン・パーティ。ジンギスカン鍋を持ち寄った飲み会で、北海道ではたぶんBBQより一般的)
 
なんか親近感のある眼鏡っこがニコニコ近寄ってくるな…と思ったら、
「S大学の○■さんですよね? H大学の○■です!」
びっくりした。
「え、従姉妹とかじゃないの!?」
周りのサークル仲間もびっくりしてた。
 
身長ほぼ同じ。髪型もそっくりでどちらも眼鏡着用。顔の輪郭はちょっと違うかなーと思うけど、あまり大きくない目の感じとか全体に地味目な雰囲気とか……要するに、本人たちもびっくりするほど、よく似ていた。
「それ、会ったら死んじゃうやつだから!」
ビールが回って絡み始める酔っぱらい仲間たちを適当にあしらって、ちょっと離れたところでふたり、落ち着いて改めて自己紹介をした。
 
私たちの名前は、読みだけなら何かの申込用紙の見本に書かれそうなくらいありふれている。ただ名前を頻繁に書き間違えられた。
例えば「知子」と書いて「ともこ」と読むのに、智子とか朋子とか。
なのでお互いまず学生証を取り出して、漢字を確認。同じ。
年齢は彼女の方が一つ下。
「ご兄弟は……」
「三つ上に兄がひとり」
「私の兄も三つ上……」
「母が専業主婦で……」
「はい」
「父は公務員です」
「……」
お互い、ちょっと無言になった。
「……お父さんの、お名前は……」
「◇◆、です」
「あ、うち●△です!」
「ですよねー!!」
 
ありえないと思いつつ、お互い一瞬、父の名前が同じだったらどうしようかと思っていた。
その後、ご両親の出身地などについても話した結果、本当にただの他人のそら似らしいという結論。それから卒業までは、サークル交流会のたびにネタにされて遊ばれた。
 
実は中学時代、クラスメートに一度、「昨日、お前の妹を見たぞ」と言われたことがある。
妹なんていないと反論しても、妹じゃないならあんなに似てるのはおかしい!嘘つき!とまで言われて、軽く喧嘩になった。
もしかしてあれは、この同姓同名の彼女だったのかと訊いてみたら、その当時はぜんぜん違う地域に住んでいたそうで、別人らしかった。
「世の中には、自分と同じ顔が三人いるって言いますしね……
 
残念ながら、三人目にはいまだ会っていない。

ごめんなさい。

亡くなった祖父の命日が近いので、本家へお参りに伺った。
15年以上前に亡くなったこの父方の祖父のことは、実は子どもの頃からちょっと苦手だった。
 
背の高い人で、若い頃から農業をしていて体格が良かった。祖母が小柄な人だったから、余計に大きく見えていたのかもしれない。
外で会う時にはいつも、キャメルのソフト帽をかぶって、スーツではないけどきちんとジャケットを着ていて、べっ甲のループタイをしていた。あまり笑わないし少しぶっきらぼうなところはあったけれど、話せば穏やかな人だった。
でも、なぜだかとても怖い人だと思っていて、あまり自分からは近づかなかった。
 
仏壇にご挨拶して、お茶をいただいた。
「おじいちゃん、きっと喜んでるねえ」
「でも私、おじいちゃんのことずっと、なんでか怖かったなあ」
「そりゃあなた、小さい頃に一度怒られたからじゃない?」
「……私なにしたの?」
 
祖父は久しぶりに生まれた女孫の私を、それは可愛がってくれたらしい。祖父と父は顔がそっくりだったので、幼い私は人見知りもせずに懐いていた。
でも祖父と父には、決定的な違いがあった。
そして幼い私には、その意味が分からなかった。
「おじいちゃんのお顔は、どこから頭なの?」
ソフト帽をぬいだ祖父の頭は、それはきれいに顔からつながっていた。
 
「それでおじいちゃん、もう○子には小遣いやらん!って」
「それは……たいへん失礼なことを……」
 
そういえば祖父がソフト帽を脱ぐたび、きれいな頭の形だなとか、やっぱり毛がないから日除けや防寒で帽子は欠かせないのかな、とかいろいろ思い浮かんだけれど、絶対にそれを口には出さなかった。
身体的特徴に言及しない礼儀をわきまえた子どもだったと、我ながら思っていたのに……経験から学習していただけだったらしい。

夢の卵

子どもの頃、イベントで見たアロサウルスの復元模型は、お尻を地面につけて直立する、いわゆる「ゴジラ」型だった。
骨格的にそれでは歩けないと分かってきて、ジュラシック・パークの頃には背筋が地面と平行になり、ついでに意外と俊足になった。
 
かつては巨大トカゲのイメージで、色はせいぜい緑か茶色。所詮残っているのは骨だけなのだから、肌や目の色や質感は想像するしかないんだと思っていた。
それが体毛や羽根の跡の残る化石が発見されるようになり、トカゲよりも鳥に近いと言われるようになり、最近の復元図ではティラノサウルスまでがカラフルな羽毛を生やしている。
骨の研究から再現した声、それも成体と幼体両方のものを、実際に展示会で聞いたときは、すごく不思議な気分だった。
 
ジュラシック・パーク上映当時、とうとうDNAから古代生物を復元できる時代が来たのかと、わくわくした。
実際には、恐竜時代のDNAは古すぎて復元することはできないらしい。
でも、細かな羽毛まで閉じこめられた琥珀が発見されたりしていると、もうちょっと技術が進歩したらあるいは、なんて考えてしまう。
ニワトリ恐竜化の研究があるくらいなら、鳥に近い小さいものなら何とか出来たりしないんだろうか。始祖鳥とか……無理かな。
 
古代生物の研究は日進月歩で、毎年のように新しい発見があったり旧説が覆されたりしている。十年後には、きっとまったく違う古代世界が展開されている。
この数十年での恐竜像の変わりようを目の当たりにしているので、この先も何が起こってもおかしくないと思っている。そしていつか卵から始祖鳥が、なんてことも──やっぱりないかな。
 
ところで去年はよく「ゴジラ見ないの?」と訊かれた。
恐竜と怪獣はまったく別物、ということが、興味のない人には意外と分かってもらえない。